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クロモリと神社と革と

自転車専門学校所属、元自転車販売店員の私、えんじの日記。クロモリとか革とか神社のこと話してます。

高津比咩神社の話。その1

皆さんの近所に神社はありますか?⛩

 

 

 

神社というのは、昔は人が集う社交場的な役目もあったそうです。

地域の方々が神社に集い、会話を楽しみそして信仰を捧げる。そうして集落全体の団結を固めて強く生きていたのでしょうか。

 

 

 

私は神社巡りが趣味なのでよく神社へ行きます。

 

遠くの神社へ行くというよりは、近所から虱潰しに巡って行き初めてその街から出るという感じですね。

 

そのせいもあって自転車というツールは私の中で欠かせないものになってます。

 

 

 

 

 

 

さて、お気に入りの神社を紹介します。

 

 

 

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高津比咩神社 場所は千葉県の下総、八千代市です。

 

祭神は多岐都比売命大国主命木花開耶姫命の神さま達や北斗北辰、間宮庄五郎源高秀で、他にもいくつかの分社が境内にあります。

 多岐都比売命高津姫は同一視されているそうです。

 

文久3年(1863年)に住職が記した「津観音堂本尊縁起」にはこう書いてある。

 

 

「平安前期、菅原道真を追放した祟りで亡くなった藤原時平の妻第五息女高津姫は、東下りをして下総の久々田に漂流した時、舟が石となった。

姫は三山から当地に落ち着き、花の洛の昔を偲び亡父を慕いながら当地で一生を終えた。彼女が守り本尊としていたのが十一面観世音菩薩で、津観音に安置された。

高津姫高津比咩神社に祀られ、当地の産神様となった。」

 

これは高津姫伝説と呼ばれています。

 

高津姫が亡き父のことを心から慕っていたのを領主の千葉さんが感動して、地名を「高津」と命名したそうです。

(神奈川にも高津があったと思いますがそちらの方はどうなんでしょうか...)

 

 

高津姫は地域の方々ととても良好な関係を築いており、高津姫が亡くなった後も領民たちは高津姫のことを想い、感謝をしてお墓を建てた。それが高津比咩神社、という説があるそうです。(諸説あり)

 

 

死んでからも想われるなんてよっぽど領民を大事にしていたのでしょう。姫も領民たちも互いに支え合って強く逞しく生きていたのでしょうね。

 

そしてその神社が今もなお残っているということが、先人たちが歴史を紡いできたという証拠であり成果なのでしょう。

当時の人達の想いや願いが形となってできた神社が今もなお変わらずに残ってること自体ロマンチックでノスタルジックですね!

 

 

 

高津比咩神社についてはまだまだ語りたいことだらけなのですが文字だけではつまらないのでここまでにしましょう。f:id:rin_efficiency:20171129235618j:imagef:id:rin_efficiency:20171130000405j:image